批評家は批評してるから何もしてないわけじゃない

なにもしない人ほど批評家になる

完璧主義者は失敗して批評家になっていく、みたいなことを書いてるんだが、大体この記事自体が批評文じゃねぇかと思うのは俺がひねくれてるからだろうか? それはともかくどうしても譲ることのできなかった一点に反論してみる。

精神が安定しているご主人の例に

妻「隣の家、リフォームですって」
夫「よかった、素敵な家になればいいね」

ってのがあるけど、こんな会話が交わされる家はぜったい安定してませんて。妻の「隣の家、リフォームですって」って台詞は「うちもリフォームしましょうよ」って意味でしょ! お隣の奥様との見栄と意地のぶつかり合うどす黒い火花が目に見えるじゃないですか。これのどこが精神の安定した会話か! 奥さんの精神は無視か! 

こうなってくると夫の返しの「よかった、素敵な家になればいいね」ってのも、そんなのんきな台詞じゃない。遠まわしに「よそはよそ、うちはうち」って言ってますよね? だって他人の家がリフォームするのに良かったも何もないじゃん! リフォームして本当に良いと思える場合なんて自分の家の時だけじゃん! 少なくともこの「よかったね」には真心こめた祝福の気持ちが見えませんよ。あきらかに「どうでもいい」の意味、「俺はその件については放っておく」って主張だ。

こんな夫婦が家庭円満であるとは言えないんじゃないだろうか。

これで俺も批評家の仲間入りです。あんまりがんばる気はありません。